ロバート・B・ライシュ
元米国クリントン政権の労働長官ロバート・B・ライシュの「勝者の代償(The future of Success)」と「暴走する資本主義(Supercapitalism)」という2冊の本を続けて読みました。
著者がニューエコノミーといい超資本主義というものが、まずは消費者である我々に多様な便益の選択肢を与え、消費者であるほど一般的ではないが投資家でもある我々に多様な投資回収の機会を提供してきた現実が語られます。次に同じニューエコノミーないし超資本主義が消費者・投資家であるとと同時に労働者でもある我々の雇用の安定と職業人としての成熟を阻害し、市民でもある我々からコミュニティとの結合と民主的な理想を奪ってきた現実が語られます。かつて民主主義を前提としていた資本主義が、超資本主義の段階に入って民主主義を浸食する結果をもたらしているというのです。米国の現実を踏まえた議論ではあるものの、これはヨーロッパにも日本にもすでに波及している事柄である。というのも、超資本主義の出現の契機はグローバル経済とIT技術の進展にあり、これは世界共通の状況だからです。
この本によって今の時代の一見バラバラないくつかの事実が1つのストーリーとしてつながったと思いました。去年の秋以降の経済環境の激変はいったん置くとしても、それまでは長期的に続いた好況の中でも働く人びとの給与は上がらなかったこと、この間に続いていた大企業グループの合併と再編、いわゆるバウンダリレス・キャリアの現実化、地方自治体の合併と一部自治体の破綻、故郷沼津だけでなく、およそ全ての地方都市で見られる駅前商店街の寂れよう、わが子達の長時間労働とそれに関連する医療現場の荒廃といったような事柄です。日本人の所得格差が広がり、かつての総中流社会が急速に格差社会化しているというようなことに、長いプロローグと長いエピローグがついて初めて全景が見えてきた印象でした。
「暴走する資本主義」でロバート・B・ライシュが提示している処方箋は、法人税の撤廃、訴訟主体としての法人格の否定などであり、そこには国境を易々と越えられる法人格は国境を越えられない民主主義の主体にはなり得ないという主張があるようです。同様の趣旨でCSR(企業の社会的責任)はまやかしになりがちで本当に求められる改革の障害でしかないともいっています。ただ、著者自身がいうようにそうした処方箋の前に消費者あるいは投資家としての我々の合理的な行動が、職業人あるいは市民としての不合理な現実をもたらしているという事実をしっかりと見ることが必要ではないかと思いました。個人が立つことと、それを支えるための政策が求められているということでもあります。
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